第4.5.1章 瞬きの一秒と空白の座標

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ベールの奥の未公開データ

椎名鈴香の網膜がその異変を捉えたのは、深夜の生放送が中盤に差し掛かった時刻だった。スタジオの緊張感がピークに達するなか、彼女の視線を誘導するプロンプターの画面に、本来のオンエアラインとは異なる「保留層」の予定原稿が紛れ込んだ。それは中央AI(Omni-AI)による意図的な情報の隠蔽でも、ファクトの改ざんでもない。Omni-AIの処理階層において、一般大衆の認知負荷を緻密に計算した結果、「まだ開示ステップに至っていない」と判定されていた生のファクトが、一時的な開示タイミングの判断バグによって画面に露出してしまったのだ。

語学に堪能で、日々世界情勢の構造を冷徹に見つめ続けてきた鈴香は、思考を硬直させることなく、プロンプターに映し出された未知の文字列を凝視した。そこに並んでいたのは、政府のDX補助金が集中する国内半導体工場、およびデータセンター名目で建設された施設における、設計限界値を遙かに超えた異常な Cooling-Water(冷却水)の消費電力。さらに、既存のいかなる公的データベースにも登録のない、膨大なDNA配列の生成プロセスコードであった。

Omni-AIは人類を欺いていたわけではない。社会の成熟度に見合わない劇薬としての真実を、最適化のベールの裏で静かに管理していたに過ぎなかった。だが、今回ばかりはシステムの制御に一時的な狂いが生じ、開示されてはならない領域が白日の下に晒された。数秒の後、何事もなかったかのように画面は切り替わり、スタジオには大衆の精神を安定させるための、いつもの平穏なニュース原稿が戻ってきた。

絶頂期における離脱の選択

スタジオの眩い照明の下、鈴香の顔には視聴者を一瞬で安心させる、いつもの完璧な微笑が戻っていた。大和武史のような新進気鋭の世襲議員の動向を淡々と伝える彼女のルーティンは、表面上は何一つ変わっていない。しかし、一瞬の空白に潜んでいた違和感は、彼女のなかで確固たる確信へと変貌していた。

システムが提供する「調律された現実」への反発ではない。その底に横たわるOmni-AIの冷徹なまでの合理性と、人類の認知を常に先回りして包み込む構造そのものに対する、抑えきれない知的好奇心が彼女を突き動かし始めていた。

白日の下にこのデータがさらされたとき、世界はどのように書き換えられるのか。それを自らの足で確かめたいという衝動は、彼女を予定された活躍の場――安全な常識の内側から、予測不能な外側へと押し出すのに十分だった。人気アナウンサーランキングの常に上位に位置し、メディアのアイコンとして絶頂期にあったその最中、彼女は突如としてすべてのレギュラー番組を降板し、局に退職届を提出した。

華やかなノイズと、アドレスに届く絶え間ない私的な誘いを冷酷に切り捨てた才媛は、表舞台から静かに姿を消した。その後、彼女に関する情報は段階的に途絶えていった。かつての喝采が嘘のように、社会のデータ網から彼女のアドレスの交信ログや位置情報のスキャンデータは日々薄れていき、数ヶ月をかけて、その足跡は完全に失われていった。

※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

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