最初の亀裂は、国家という強固なはずの神話がいかに脆い地盤の上に建っていたかを、全世界の目前で白日に晒した。
ギリシャ危機。
「デフォルト(債務不履行)」という死の宣告が世界中を駆け巡り、人々が信じて疑わなかった法定通貨の価値が、一夜にしてただの幻影、あるいは無価値な紙切れへと変わる光景を目の当たりにした時。プロローグで蒔かれた静かな種子――仮想通貨「E-Coin」は、アナーキストやハッカーたちの地下実験場を抜け出し、突如として表舞台の猛烈な熱狂の中心へと引きずり出された。
国家が価値を保証しない通貨。それはかつて、圧倒的な「リスク」と同義であった。しかし、国家のシステムそのものが崩壊するこの瞬間から、それは「国家の破綻に巻き込まれない唯一の逃れ場(サンクチュアリ)」へと、その意味を完全に逆転させたのだ。
ブロックチェーンの覚醒と、監視社会への分岐点
世間の熱狂の初期、テクノロジーの深淵を理解していない大衆は、「E-Coinこそがブロックチェーンである」という決定的な錯覚に陥っていた。
だが、投機的な熱狂の波が引くにつれ、真の革命の正体が徐々に冷酷な姿を現し始める。ブロックチェーンとは、いかなる権力者であろうとも改ざんを許さない、絶対的な「分散型台帳システム」という強固な大地であり、E-Coinはその大地の上を走るための、単なる一つのプロトコル(馬車)に過ぎなかったのだ。
通貨としての「E-Coin」と、それを根底で支えるテクノロジーとしての「ブロックチェーン」。
この二つの概念が人々の頭の中で明確に切り離された瞬間こそが、後の「完全監視社会」へと至る、引き返すことのできない真の分岐点だった。なぜなら、ブロックチェーンが不可逆的に記帳できるのは、単なる金銭の移動だけではなかったからだ。
契約、所有権、病歴、移動履歴、そして「個人のあらゆる行動の痕跡」までも、永遠に消えないデータとして刻み込むことができる。
ここからブロックチェーンはE-Coinの軛(くびき)を離れ、社会のすべての事象を記録・統制する究極のインフラへと、独自の、そして恐るべき進化を遂げていくことになる。

分裂(フォーク)のカオスと、淘汰の果て
一方、社会インフラとして独自の進化を始めたブロックチェーンに取り残された「E-Coin」の側にも、苛酷な生存競争が待ち受けていた。
世界的な取引量の爆発的増加に伴い、プロトコルが当初から抱えていた「処理速度の遅さ(スケーラビリティ問題)」という致命的なボトルネックが表面化したのだ。
開発者たちは陣営に分かれ、己の正義と利権を掲げて激しく争った。処理を早めるために基本ルールを書き換える者、新たなスマートコントラクトの概念を付加しようとする者。システムは幾度となく分岐(ハードフォーク)を繰り返し、無数の「新しく、より便利なE-Coin」が乱立するカオスが訪れた。
だが、人間の欲望に塗れたそれらの枝葉は、結局のところすべて枯れ落ちた。
利便性のために改変されたコードの奥底には、必ず微かな「人間の恣意(エゴ)」が混入していた。そしてそのわずかな隙間が、致命的なセキュリティ上の脆弱性となり、自らを滅ぼしたのである。
長い淘汰と血を洗うような暗号戦争の果てに、最終的に生き残ったのは、いかなる妥協も許さず、創設者ヒロシ・ナカムラが記述した「最初のルール」のままに稼働し続けたオリジナルのE-Coinのみだった。
後に「Classic E-Coin(クラシック・イーコイン)」と尊称されることになるその孤高の存在は、決して便利ではなかった。決済には時間がかかり、およそ実用的とは言えなかった。
しかし、いかなる人間の思惑にも左右されないその頑なな性質ゆえに、流転し変転するデジタル世界において「絶対に揺るがない唯一の基準(アンカー)」として、永遠の命を得たのである。
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。