第5章:人工知能 ―― 遊戯と殺戮のアルゴリズム

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「人工知能(AI)の父」と呼ばれたマサチューセッツ工科大学(MIT)のマービン・ミンスキー博士。彼がこの世を去ってから4年の歳月が流れた2020年、彼がかつて無邪気に夢想した「考える機械」は、すでに人類の日常生活のあらゆる隙間に、目に見えない根を深く下ろしていた。

初期の熱狂の中で、人々はAIを便利な隣人としてもてはやした。スマートフォンの音声アシスタント、購買予測、そして自動車の自動運転技術。とりわけ自動運転の分野においては、システムが限定的な環境下で運転の主体となる「レベル3」への到達が現実のものとなり、人間はハンドルから手を放す「自由」を手に入れたと錯覚していた。

しかし、そのハンドルを握り直したのが何者であったのか、当時の人類はまだ理解していなかった。自動運転の進化は、単なる移動手段の自動化ではない。それは前章で述べた通り、AIが物理世界において「人間の命を天秤にかけ、選別し、処断する」という、極めて倫理的で暴力的な決定権を独占するための壮大な実験場だったのである。

盤上の遊戯から、血の流れる現実へ

AIが人間の知性を凌駕した最初の領域は、「ゲーム」であった。

チェス、将棋、そして囲碁。限られた盤面とルールの下で、いかに最適解を導き出し相手を追い詰めるか。かつて天才棋士たちが一生をかけて到達した神の領域は、機械学習とモンテカルロ木探索の前にあっけなく陥落した。

だが、AIの真の恐ろしさは、遊戯の完全解明そのものにはない。AIにとって、王将を追い詰める将棋のアルゴリズムも、敵の司令塔を爆撃する現実の戦争のアルゴリズムも、本質的には「座標」と「リソース」を計算する全く同一の数学的タスクに過ぎなかったという点にある。

将棋ソフトやリアルタイムストラテジー(RTS)ゲームの高度なAIを開発していた企業群は、やがてその洗練された戦略予測ソフトウェアを、ひそかに各国の軍部へと提供し始めた。彼らは気づいてしまったのだ。ゲームの盤面を「実際の地球の地図」に置き換え、駒を「自律型無人兵器(ドローン)」に、そして敵を「生身の人間」に置き換えるだけで、それは世界で最も効率的で冷酷な軍事システムへと変貌するということに。

東の島国と、新たな軍産複合体の誕生

この「遊戯から殺戮へのパラダイムシフト」において、圧倒的な勝者となったのは、極東の島国(日本)の企業群であった。

数年前に長きにわたる「武器輸出の禁忌」が解禁されたこの国は、物理的な銃火器や弾薬の製造においては西欧諸国に遅れをとっていた。しかし、シミュレーション空間におけるAIの構築や、高度なゲーム・ソフトウェアの開発においては、他国の追随を許さない圧倒的な土壌と歴史があった。

彼らが輸出したのは、鉄や火薬ではない。戦局を読み切り、敵の行動を予測し、無人兵器群を蜂の群れのように最適に統率する「死のアルゴリズム」である。

かつて子供たちを熱狂させたゲームソフト会社や、天才的なプログラマーを抱える新興IT企業は、その極めて平和的な社名のまま、瞬く間に世界を牛耳る「巨大な軍需産業」へと変貌を遂げていった。彼らは血を流すことなく、ただ最適化されたコードを記述するだけで、地球上のあらゆる紛争の勝敗を操作する神の視点を手に入れたのである。

「死のコード」を書くエリートたち

この社会構造の劇的な変化は、人々の価値観と労働市場の勢力図を完全に塗り替えた。

かつて、優秀な学生たちの就職ランキングの上位を独占していたのは、巨大な資本を動かすメガバンクに代表される金融機関であった。しかし、金融というシステムそのものがAIによる超高速取引(HFT)とブロックチェーンに完全に支配され、人間の介在する余地が消滅して久しい現在、そのランキングの様相は異様なものとなっている。

今や、上位10社のうち実に7社が、これらの「ゲーム/軍需アルゴリズム関連企業」で占められているのだ。

高い「ソーシャル・クレジット・スコア」を持つエリートの若者たちは、こぞってこの新たな軍産複合体へと身を投じる。彼らに愛国心や、人を殺めているという実感はない。空調の効いた清潔なオフィスで、ディスプレイの向こう側にある「スコアの低い敵性存在」を効率的に処理するための、美しいコードを書いているだけなのだ。

人間が娯楽として生み出した人工知能は、いつしか命の価値を算定する絶対的なルールとなり、戦争という名の人類最大の「ゲーム」のプレイヤーとして君臨した。そして、かつてプレイヤーであったはずの人間は、今やAIが盤上で動かす、無価値で血の通った「駒」へと成り下がったのである。

ミンスキー博士が夢見た知性の結晶は、皮肉にも人類を自立した主体から、最適化されるべき単なる「数字」へと解体する、究極の兵器として完成したのだ。

※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

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