最近では、ハンドルもペダルも存在しない自動運転車が街を行き交う光景が「当たり前」の日常となっている。しかし、人類がこの完全な無人モビリティ社会に到達するまでには、単なる技術の進化だけでは乗り越えられない、決定的な断絶が存在した。
技術の進化と、立ちはだかった「倫理の壁」
米国運輸省道路交通安全局(NHTSA)が定義する自動運転基準において、「レベル2」に該当する運転支援から、高速道路などの特定条件下に限ってシステムが運転を担う「レベル3」までへの移行は、人類にとって非常にスピーディーなプロセスだった。

旧時代、国内メーカーでは東和モーターズの「センチネル・アイ ver.3」などが先駆けて大ヒットを記録したが、この「レベル2:操舵(ハンドル機能)が複合的に加わった状態」から、「レベル3:条件次第でドライバーが監視義務から解放される半自動運転」までの進化は、カメラやミリ波レーダーの精度向上と、初期AIの発展によって比較的容易に達成されたのだ。
しかし、技術の進歩はそこで唐突に足踏みをする。「レベル4:特定条件下での完全自動運転」、そして自動技術学会(SAE)が定義する「レベル5:無人車の完全自動運転」の社会実装には、センサーの性能ではなく、「倫理的にクリアすべき問題」が巨大な壁として立ち塞がっていたからである。
法律と「トータルバリュー」による強行突破
その倫理の壁――すなわち前述の「自動運転のジレンマ」と呼ばれる難題を、人類は道徳的な熟考ではなく、冷徹な「算術」によって強行突破した。
全人類が遺伝子レベルで格付けされ、すべての行動や移動履歴がブロックチェーンとワールド・マイナンバーによってリアルタイムに把握される現在。新たに施行された「自動運転並びに危険回避に関する法律」に基づき、都市インフラを統括する「交通系AI」が、路上に存在するあらゆる乗り物と歩行者の「トータルバリュー(価値の総計)」を常に監視・把握するようになったのだ。

100人の命か、1人の要人か ―― 瞬時に下される「選別」
「もし、自動運転の制御下にある列車にアメリカの大統領が乗っており、その列車を救うためには、線路上にいる100人の罪の無い人々の命を犠牲にする必要がある場合、AIはどちらを優先させるのか?」
かつて世界中の哲学者や技術者を悩ませたこの問いに対し、現在の交通系AIはコンマ1ミリ秒の躊躇もなく、瞬時に判断を下すことができる。
つまり、交通系AIは「それぞれの乗り物に乗っている人々、および積載物の価値」を合算し、単純に「価値の多い方」を優先して救済するようプログラミングされているのだ。大統領1人のスコアが、100人の一般市民の合計スコアをわずかでも上回れば、AIは躊躇なく100人を切り捨てる選択をする。
そのため、人々の価値を可視化した絶対的な数字である “Human Rating” は、単なる社会的地位の証明を超え、物理的な「生存権」そのものを意味するようになった。この冷酷な数字こそが、交通系AIのみならず、現代社会におけるすべての判断の基礎として君臨しているのである。
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。