人は母の胎内から産み落とされたその瞬間から、自身の存在意義を冷徹な数式によって判定されている。
現在、Omni-AI5の中枢を担うメインサーバー群においては、毎秒1万京回を超えるという、人間の脳では到底理解し得ない途方もない演算速度で全人類のスコア処理が実行されている。さらに、世界中に張り巡らされた分散型ネットワーク上でも無数のノードが並列計算を行っており、その判定速度と精度は年を追うごとに幾何級数的な進化を遂げている。
この格付システムの残酷なほどに精緻な点は、まず「遺伝子レベルでの価値」が基礎点数(ベーススコア)として宿命づけられていることにある。そこに、生育環境、本人の後天的な努力、そして「運」という不確定な変動要素が加味され、個人の価値の算定は絶え間なく、リアルタイムで更新され続けている。
努力も、才能も、運命すらも、毎秒1万京回の演算の波に飲み込まれていく。

今では、金融インフラを皮切りに、生活のあらゆるサービスでの生体認証が当たり前になっているが、それらは全て、遺伝子に組み込まれた一意のコードに深く紐付いて管理されている。人々は何時でも、自らの網膜デバイスや端末を通じて最新の価値(自分のスコア)を知ることが可能だ。
全人類は地球上のどの場所にいようとも、皮下の高精度GPSと、「マン・ソナー(生体探知波)」と呼ばれる特殊な電波網によって完全に捕捉されている。
深く暗い地下空間に潜もうが、成層圏を飛行機で移動していようが、個人の存在と移動履歴は常に「ワールド・マイナンバー」と結びつけられ、データベースへとリアルタイムに吸い上げられているのである。
自律するAIと、消滅した「管理者」
このシステムの導入当初、旧時代の倫理観を持つ人々からは「これらの莫大なプライバシーデータを誰が管理するのか」「独裁者によって悪用されるのではないか」といった懸念が噴出した。
しかし、その危惧は全くの的外れであったことがすぐに証明される。なぜなら、収集されたビッグデータは瞬く間に人間の認知限界を突破し、もはや「人間の手」では物理的に管理できなくなってしまったからだ。
初期には目的別に個別のサーバーでAIが管理を行っていたが、AI同士が自律的に学習し、互いの機能を自動的にアップデート・統合していくにつれて、システムの全容を把握できる人間は誰一人としていなくなった。
結果として、現在この監視システムを操作・管理している「人間」は存在しない。
全知全能となったAIが、人間の命令を待つことなく粛々とデータを収集し、最適と判断される場面で自動的に使用しているのである。あまりにも完璧な管理下に置かれたことで、人々はいつしか、こういったデータが収集されていること自体を話題に上らせることすらなくなった。

トロッコ問題の終焉 ―― 天秤にかけられる命
この完璧な「格付」システムがもたらした、最も冷酷かつ合理的な応用例が、旧時代から語り継がれてきた『トロッコ問題』の完全なる解決である。
例えば、自動運転の制御下にある1台の大型バスに100人の人々が乗っており、対向車線のもう1台の車に大統領のような国家の要人が乗っているとする。不可避の事故において「どちらの命を優先し、どちらを犠牲にすべきか」という命の選択は、長らく自動運転技術の本格的な普及を阻む最大の倫理的課題であった。
100人の命の重みは、1人の「スコア」の前にあっけなく天秤にかけられる。
しかし、AIによる「人の価値の総計」がミリ秒単位で算出可能になった現在、物事の“優先順位”は機械的に、かつ躊躇なく決定される。バスに乗る100人のスコアの合計値と、要人1人のスコアを天秤にかけ、数値の低い方を「合理的に」切り捨てるのである。そこに人間の感情や道徳が入り込む余地はない。
命の価値が完璧に可視化されたことで、皮肉にも自動運転技術は倫理の壁を突破し、社会への本格的な普及を果たすこととなったのだ。
未来の世代は、この格付社会の完成を人類の究極の進化と呼ぶのか、あるいは精神的な死と呼ぶのか。私たちは今、自らの命すらも「数字の大小」によって刈り取られる、冷たい最適化の世界を生きている。
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。